足柄城址

足柄城址の富士山 足柄峠は、古くから政治・交通上の要衝の地として、しばしば戦闘拠点として利用されてきました。足柄城は、北条氏によって築城された戦国時代の出城です。この城は、足柄峠を中心に尾根上のいくつかの城郭群に守られた堂々たる城でしたが、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの後廃城となりました。
 足柄城は悌郭式(ていかくしき)という方式でつくられた城で、郭(くるわ)と呼ばれるひとくぎりの備えが串だんごのように並び、自然の山地をうまく利用した城で、虎口(こぐち)という小高い丘がひとくぎりの陣地である郭への入口となっています。このため、敵が攻めてきても城内のようすがわからないようになっています。
 足柄城址は、攻撃を守るためにつくられた城で、どの郭からも打って出るのに都合のよい工夫がされており、隠し郭と考えられている三の郭、長く続く二の郭などはいずれも銃撃戦に備えて築かれている形で本丸にせまっています。

【玉手ケ池】
 足柄城址本丸の一角に常時水をたたえている小さな池があり(井戸跡)、玉手ケ池と呼んでいます。この池は底知らずの池、又は雨乞い池と云われ、底は小田原に通じているとも云われています。
 旱ばつの折には、池の水をかきまわし雨乞いをすれば必ず雨が降り、それこそ干天の慈雨とされたと云われ、干天続きの時には遠近の村人達が雨乞いにきたもです。
 池の名称は、足柄峠の守護神、足柄明神姫、玉手姫からつけられたものですが、もともとこの池があったものか、又、足柄城の本丸井戸跡か、そのいずれかと思われますが、井戸の大きさと池の大きさがやや一致するぐらいの面積であることは、史実と伝説の関連が非常に興味深く思えるのではないでしょうか。


足柄城址の案内図