銚子ケ淵

銚子ケ渕【静岡県 水辺100選の地】
 地蔵堂川に沿って、足柄合戦の名残が、そこここにうかがえる林道戦返り線を登って行くと、そこはまさに森林浴に格好の場所が続きます。そして静岡県水辺百選にも選ばれている、深い緑が美しい『銚子ケ淵』に出会えます。
 近くには馬蹄石や地蔵堂川沿いには、不動の滝(頼光対面の滝)、古滝、椿ケ淵などの遺跡や見所があります。
 又、地蔵堂川には「銚子ケ淵の花嫁」、「椿ケ淵」など色々な伝説もあり、こうした昔話を思い浮かべての散策も又楽しみが増すことでしょう。

【銚子ケ淵の花嫁】−伝説
 昔、村の若者と美しい娘の祝言(結婚式)が始まり、集まった村人達も大喜びで宴席も賑やかでした。この時顔を赤くした一人の年寄りがお銚子を振りながら、花嫁に向って「おおい、かわいい花嫁さん、わしにお酒をついでくれないかい」と声を掛けました。
 声を掛けられた花嫁は、年寄り以上に赤い顔になって恥ずかしそうにお銚子を持って年寄りの前に進もうとしましたが、この時あまりの緊張から思わず大きなオナラをしてしまいました。そしてめでたい祝言の席は大笑いに包まれてしまい、若い花嫁の目からは、見る見るうちに大粒の泪が溢れ出しました。
 花嫁はお銚子を持ったまま、外に駈け出して行ってしまい、それっきり花嫁は帰って来ませんでした。暗い夜道を泣きながら走って、山の中の淵に身を投げてしまったのです。
 その後、淵には花嫁の履いた草履が時々水面に浮かぶようになりました。村人はこのことを恐ろしく、又花嫁を哀れに思い、淵にお地蔵さんをおまつりして、花嫁の霊を慰めました。それからは花嫁の草履も浮かんでこなくなりました。
 人々はこの悲しい出来事を忘れないように、この淵を「銚子ケ淵」と名付けました。川の名も「地蔵堂川」というようになりました。そして、いつしかこの淵は、幸せの縁結びとの淵として多くの人々が願いを掛けるようになりました。
 今はもう、淵は浅くなりお地蔵さまも土の中に埋ってしまいましたが、きれいな水は昔のままに流れています。

不動の滝(頼光対面の滝)【不動の滝(頼光対面の滝)】−金太郎ゆかりの地
 源頼光が、金太郎と初めて顔を合わせたところと云われている滝です。

 足柄峠まで来た源頼光は、赤い雲のたなびく峰を見つけました。「あの雲の下には、きっとたくましい若者がいるに違いない、急いで見てきて欲しい」と家来の渡辺綱に言いつけました。
 程なく渡辺綱が連れてきたのが、金太郎と母でした。金太郎は頼光の家来となり、坂田金時(坂田公時)と名前を変え、後に四天王のひとりとなりました。

【馬蹄石】
 源頼朝は富士の裾野の巻狩りに行くため、足柄山を越えて来ました。そして、ここで馬を止めて休んだと伝えられています。
 後に、馬の蹄の跡がある大きな石が地の中から現れ、里の人々はこの石を「馬蹄石」と名付けたと云うことです。

【古滝】
 富士山、大山(神奈川県)、箱根権現(神奈川県)などに行く人達が、途中この滝に立ち寄り、滝の水に打たれて身を清めたと云われています。

【椿ケ淵】−伝説
 竹之下合戦で、足利軍に破れた新田軍の年若い一人の武将が、深手を追って山の中を逃げて行く途中、力尽きて気を失い林の中の川に転落していきました。あたりは一面椿の林でした。武将が沈んだ川の底から、白いあわと、真っ赤な血潮が浮かんできました。
 山の中には戦を逃れて来た村人達が隠れていましたが、その中の一人の娘が水面に浮かんでくる血に気づき、武将は村人達によって水中から引き上げられ、助けられました。
 武将は剃髪して僧侶となり、川のほとりに住み着き、時々村の娘が食べ物を運んで来ました。冬になると、まわりの林には山椿が咲き乱れました。
 そして3年時代は足利の世になっており、ある日武将だった僧侶は、多くの兵に囲まれ、縛られて足柄峠を引き立てられて行きました。
 それから、時が過ぎ、僧侶が居た小屋は落ち葉の中に埋もれてしまいました。いつの頃からかその跡に、2本の椿が生え、冬になると白と、赤の花をつけるようになりました。


銚子ケ淵(戦ケ入り古道)周辺案内図