向西寺
向西寺

山号・寺号 充厭欣山中円院 向西寺(こうさいじ)
所在地 小山町一色54−1・2(字中の丸)
宗 派 浄土宗 鎮西派
開 基 中蓮社心擧道春和尚
本 尊 阿弥陀如来(室町期の作)
仏 像 鬼子母神
寺 歴
(寺伝による)
寛永元年(1624)心擧道春和尚開基、明治維新廃仏棄釈にて廃寺となる。本尊阿弥陀如来は本寺善龍寺に預けられ、明治末期現在の本堂が出来安置された。
昭和46年水害により墓を掘ったことがあるが、和尚は12人を数え、この地で眠っている道春和尚、慶長19年杉原の光明院も開基し布教につとめたとある。
明治時代迄は、善龍寺も京都の智恩院の直属の寺で、向西寺もその末寺であったが、現在は芝増上寺経由になっている。
庚申塔群も今の県道拡張改修により、林 進氏の畑の側に移り、又その道路が広がることにより上古城のコミセンに移されたと思われる。
寺 伝 創建年間不詳、明治初年廃寺となり、檀徒の希望により堂として残存。
年中行事 4月8日大念仏、10月10日の十夜念仏。
本山・本寺等 中畑善龍寺
梵 鐘  
寺に関係ある
伝説
明治維新廃仏棄釈にて廃寺となり本堂は清後の久成寺倉裏として役立たされた。
その間本尊阿弥陀如来は本寺善龍寺に預けられていたが、ある時夢枕に立ってどうしても元の地に帰りたいとのことで、明治末期馬の鞍に乗せられて帰ってきたが、土地は上古城の人達の共有のものとなり、易にみてもらったら本尊自身の力で取り戻すとのことで、周囲の人達に不幸が出来たりしたので、皆相談し帰すことになり、明治末期やっと現在の本堂が出来安置されることになった。
由緒ある
石碑・墓碑等
庚申塔群(上古城コミセンに移設)
札所・詠歌 のちの世をはすのうてなにのりたくば只ひとすじにみだをたのめよ