本堂と鐘楼
本堂と鐘楼
正巌徳勝和尚(俗名:楠木正勝と伝える)の開基寺。
境内に宝篋印塔(小山町指定文化財)がある。
現在の本堂は平成8年(1996)春に完成したもの。

山号・寺号 法雨山 甘露寺(ほううざん かんろじ)
所在地 小山町菅沼681
宗 派 曹洞宗
開 基 正巌(厳)徳勝和尚(楠木正勝)
本 尊 甘露王如来
仏 像 聖観世音木像他
寺 宝 修禅寺住職丘球学老師筆 準提観音大幟・仇討ち如来・唐狭間(欄間)
寺 歴
(寺伝による)
嘉慶元年(1387)正巌徳勝によって通路鼻(つうじはな)の地に、真言宗の元箱根金剛王院末寺として開創された。天文9年(1540)遂に衰院に帰した。
元和3年(1617)鉄心御州禅師は武州龍穏寺十八世洲珊嶺禅師を請して開山第一世とし、自らは第二世となった。元禄2年(1689)中興五世不峻祖嶽和尚が本堂を再建。七世癡兀禅嶺和尚が、祖師堂・鐘楼等を整備。
十八世重興道契和尚、関東大震災によって倒潰せる本堂を再建。

(註)
現在の本堂は、大正12年の関東大震災直後に再建された本堂の老朽化により、平成7年より大改築され平成8年春に完成したもの。
年中行事 4月大般若会等
本山・本寺等 本山 永平寺、総持寺        本寺 龍穏寺
梵 鐘  
寺に関係ある
伝説
湯山将監に関する阿弥陀如来
由緒ある
石碑・墓碑等
甘露寺宝篋印塔 (小山町指定文化財・指定第1号)
札所・詠歌 御厨阿弥陀横道第46番札所
法の雨甘露の味を草や木に弥陀成仏のこの方の寺

本尊甘露王如来像 本堂の内部
本尊甘露王如来
左:太祖瑩山禅師 右:高祖道元禅師
本堂の内部
本堂の唐狭間は、井波(富山県)の
番匠屋16代・田代与八郎先生の作で
極楽の世界と桃源郷を表している。
宝筐印塔 準提観音大幟 仇討ち如来
宝篋印塔
応永7年(1400)
徳勝和尚が建立の
供養塔。
(小山町指定
(文化財第1号
準提観音大幟
昭和9年修禅寺住職・丘球学老師が
釈尊降誕2500年を記念して描いた
高さ37m、幅20m、重さ280Kgの
日本最大級の観音様の大幟。
(昭和10年11月撮影)
仇討ち如来
慶長の頃、湯山将監
が仇討ちされた話が
あります。討手の六部
が背負っていた阿弥
陀如来を仇討ち如来
と呼び祀ってある。

甘露寺開創の地


【甘露寺の開創と沿革】甘露寺のパンフレットより
 寺伝によりますと、開基は楠木正成の孫の楠木正勝と伝えられています。正勝は、南北朝時代に南朝方の武将として戦った後、仏門に帰依し、正巌徳勝和尚となりました。そして、嘉慶元年(1387)菅沼のツウジハナの地に真言宗の箱根金剛院の末寺として甘露寺を建立し、建武2年(1335)竹之下合戦戦没者の霊を弔ったといわれています。
 寺は、天文9年(1540)一時衰微しました。しかし、元和3年(1617)龍穏寺十八世洲珊嶺渚禅師が菅沼の現在地に甘露寺を再興し、曹洞宗に改めました。再興に最も尽力された二世鉄心御洲禅師は龍穏寺の二十二世であり、更に大本山永平寺二十九世になられた高僧です。
 五世の元禄2年(1689)に本堂を再建、七世の代に祖師堂・鐘楼を整備、十八世の代に関東大震災により倒壊した本堂を再建しました。そして、先住の二十世の代に書院・総祠堂を建立し、現住の代には、平成8年春本堂の大改築をなし、今日に至っています。

※甘露寺のホームページ:www4.tokai.or.jp/kanroji/