十王堂の写真
十王堂

山号・寺号 十王堂(地蔵堂とも呼ぶ)
所在地 小山町菅沼707−1
宗 派  
開 基  
本 尊 地蔵尊
仏 像 十王石仏(「菅沼村鑑」本尊) その他石仏十体ほど
寺 宝 十王図十幅(箱書 明治21年11月吉日) 博道地蔵(昭和47年7月造立)
寺 歴
(寺伝による)
延宝8年(1680)菅沼村鑑帳に「十王本尊石仏、此堂長三間横弐間、但茅葺ニ而御座候。此本尊之儀者何年以前之儀ニ御座候も志れ不申堂屋敷御免地ニ而御座候」と記録されている。
年中行事 1月16日(えんま詣り)、7月26日(えんま詣り) 
本山・本寺等  
梵 鐘  
寺に関係ある
伝説
「十王図」(十王讃歎抄)絵解 
由緒ある
石碑・墓碑等
青面金剛二体(庚申青面)(文化9年、天保12年)、弥勒菩薩(半跏思惟像)、石灯籠一対(正徳5年)
札所・詠歌 御厨地蔵横道第4番札所
あはれさや深き根さしの菅沼のあらやに立は地蔵尊かな

青面金剛二体・弥勒菩薩・石灯籠一対left
右より青面金剛二体・弥勒菩薩・石灯籠一対


閻魔王の図【十王石仏・十王図の意味】
第一の王・秦広王(初七日忌)、第二の王・初江王(二七日忌)、第三の王・宗帝王(三七日忌)、第四の王・五官王(四七日忌)、第五の王・閻魔王(五七日忌)、第六の王・変成王(六七日忌)、第七の王・泰山王=太山王(七七日忌)、第八の王・平等王(百ケ間日)、第九の王・都弔市王(一周忌)、第十の王・五道転輪王(三周忌)

 人間は寿命がつき、生前の善行・悪行によって極楽に行くか地獄に行くか、十王によって審判を受ける。これを中有の旅といい、死後一週間後の初七日から一週間ごとに審判が行われる。この審判の中で、最も有名なのは、第五の王・閻魔王で、三十五日の忌日に対面する。また第七の王・泰山王(太山王)は四十九日の王で、家族・遺族は死者が審判の苦痛や悪所に行かないために、この日を特に念入りに追善供養する。
 十王は審判者であるので、悪行を重ねた者にとっては畏怖の王であるが、実は十王には、それぞれ本地仏が設定されていて、仏恩によって救済を受ける。
 例えば三十五日の王、閻魔王は王の中の王で最も恐怖の王で、古来有名である。掲載の閻魔王図は上部に閻魔大王が特に威厳に満ちて描かれ、二人の判事眷属と壇荼幢という幟が立てられ人面が描かれている。右側の判事は閻魔帳を持ち、審判の行く方を見守っている。
 第二段の絵には、中央に検事役を描き、亡者二人に尋問しているが、検事の手にも罪状を記した閻魔帳があり、背後に鬼(赤鬼と黒鬼)が罪状認否を注視している。
 第三段は赤鬼が亡者を光明院に押しこめているが、院内には九面の鏡があり、中央の鏡を浄玻鏡といい、生前の善行・悪行がことごとく映し出され、亡者の嘘や自己弁護を検証し、亡者に罪状を確認させている。
 最下部の第四段の場面は、黒鬼の獄卒にとらわれた亡者は、厳しい閻魔王の取り調べによって地獄行きを観念し、生前の行状を悔いている。そこに雲に乗った地蔵菩薩が来迎し、亡者の反省と遺族の追善供養によって救済するという構図になっている。
 十幅の十王図は、「地蔵十王経」や「十王讃歎鈔」などの経文に従って意味や内容がこめられ、在世の人間に勧善懲悪を絵解きしている。このお堂を十王堂ともお地蔵さんとも呼んでいるが、近隣にもこのお堂が点在し、全国的に普及している。1月16日と7月26日(当地方のみ)を地獄の釜の蓋の空く日として閻魔詣でをし、年2回十王堂の祭りを行っている。

【博道地蔵】
 甘露寺十九世住職・深谷博道老師は、昭和47年2月19日、80歳で、このお堂で遷化した。博道老師は生前、仏道に精進し、人々の救済に専念した名僧であった。坂下区の住民は老師の死を悼み、博道地蔵尊像一体を寄進し、また、御殿場市深沢の大雲院(曹洞宗)住職・末光希仙老師は博道老師を追慕し、「博道御詠歌」と「博道御和讃」を献詠した。十王祭にに合わせて博道忌を催し、「博道御詠歌・御和讃」を地域住民で唱詠している。

(H15/8/10 岩田 晶(さやか)氏寄稿)