宝鏡寺の本堂 山門から本堂を望む
宝鏡寺の本堂 山門から本堂を望む
新羅の僧、審祥開基と伝えられる古刹
竹之下のお地蔵さんとして信者は近県にも及び、信仰を集めている

山号・寺号 大雄山 宝鏡寺(だいゆうさん ほうきょうじ)
所在地 小山町竹之下1462(字富士向)
宗 派 曹洞宗
開 基 審祥禅師
本 尊 延命地蔵尊(伝聖徳太子作) 静岡県指定文化財
仏 像 薬師如来、弁財尊天等
寺 宝 扁額『足柄山』(伝空海)。百万遍の数珠。近衛篤麿の扁額『願王延命殿』他。
寺 歴
(寺伝による)
天平19年(747)新羅国の僧審祥安置開創して『地蔵院』と号す。文治中(1185〜1190)竹之下孫八左衛門頼忠再興し『善光寺』と称す。その後久しく頽廃。
康永3年(1344)郷民力を合せ堂宇を今の地に移し、『宝鏡寺』と改む。文亀2年(1502)祝融に罹り、霊像を村の耕雲寺に移す。
大永元年(1521)中興蜜堂秀厳禅師堂宇を再建、爾来曹洞宗となる。
年中行事 大祭、8月23・24日 開帳、60年に一度(昭和33年実施)
本山・本寺等 本山 永平寺・総持寺。本寺 宝持院。末寺 円通寺
梵 鐘 旧梵鐘 寛保2年(1742)(第二次世界大戦中供出),新梵鐘 昭和39年8月24日
寺に関係ある
伝説
そば切り地蔵の伝説。地蔵様の池。乙女峠の由来
由緒ある
石碑・墓碑等
鈴木正信筆子塚
札所・詠歌 御厨地蔵横道第1番札所
御誓ひみなもと深い泉水に菩提の影の清く澄寺

木像地蔵菩薩坐像(本尊)
木像地蔵菩薩坐像
(昭和60年静岡県文化財指定の秘仏)


【乙女峠の由来】
 時代を定かにしないが、遠い昔、箱根仙石原に親孝行な娘がいた。名を「とめ」といい評判の小町娘であった。
 ある時、娘の父親が病にかかり枕も上げられぬほど重病になった。そのときから、娘は毎夜何処かへ出ていき、夜明けに帰ってくる。そのうちに薬療の甲斐あってか父親の病気も良くなり、目を盗んで外出する娘にきびしく小言を言ったが、娘は無言で詫びるだけだった。
 ある夜、いつもの様に親の目をさけて外出した娘の後を追ったところ見失い、雪に残った足跡をたよりに探していくと、峠の途中で雪だまりに落ちて苦しむ娘に逢った。
 その姿を見た父親は、男の元へ行った帰りを急ぐあまりに落ちたものと早合点し、天罰と思った。それより先につづく足跡を見て、誰のところに通っているのか確かめようとし、先を辿って急いだところ、宝鏡寺の門前に来た。
 まさかお詣りなどする筈がない。お堂の隅で逢っていたのかと邪推し、戸をたたいて和尚に尋ねた。すると、若い娘が父の病気を案じて二十一日の願をかけてお詣りに来ている。まさか、その娘を追ってきたのではあるまいかと問いただされた。
 そのことを聞いた父親は青ざめた。一時は医者も見放したのが、急に全快へ向かい、今まで薬療の効果とばかり思っていたのが、娘の祈願の表れであったと知り、毎夜の外出はここでお祈りしていたためかと思うと、知らずにいた自分が腹立たしかった。
 それならば早く戻って、雪に埋もれて苦しむ娘を助け、孝養をほめて詫びねば慌てたが、急げど雪に行く手をはばまれて、思うにまかせない。穴に落ち、枝の雪を覆りながら峠の難所に来てみると、哀しいかな娘は雪にもがいて息絶えていた。とめの名を呼んだが、返事はない。その顔は穏やかな表情である。
 涙で雪を解かさんばかり泣きわめいたが、娘は親のぬくもりに応えなかった。父親は浅はかな邪推を悔やみ、あの時に助けておけばよかったものを、と悲しんだ。
 冷たくなった娘を抱いて帰ると手厚く弔い、娘の孝心に感謝しながら余生を送り、そこに手向て娘の孝行話を人々に伝えた。
 やがて、おとめが訛って乙女峠に由来したという。哀話は郷土の伝説に語りつがれ、民謡にも唄われて新たな涙を誘っている。